邦画特集掲示板ログ2
(投稿11 〜 20)


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11.では、映画人合同で配給会社を

投稿者:当サイト管理人 - 2000年 08月 28日 20時 45分 14秒
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 Tanu2さんへ。再度のご来訪、感謝します。

 劇場が半分。残りの額は、配給会社と制作者とで折半。
 海外での興行収入をめぐる利益配分も、そんなものではないかと思います。ただ、映画作家に著作権が認められないというのはしんどいですね。もっとも、竹中直人の「119」みたいな頂戴ものばかり作ってたら、著作権もなにもないような気はするけど。
 思うんですが、日本の映画作家が集まって、新しく配給会社を設立したらどうでしょう?
 昔のATG系みたいに一般客に背を向けた狭い領分に閉じこもるのではなく、より広い層に観てもらえるよう、日本中のミニ・シアターと数多く契約した配給網を確保し、ずっと大掛かりにやるわけです。
 あとは、インターネットや口コミを駆使しての広報活動で、宣伝費を抑える。
 実現の可能性はかぎりなく小さいでしょうが、海外市場を求めず、メジャー色にも染まらず、独自の制作姿勢を通したいのであれば結局、このやり方しかないと思いますが。
 


12.日本映画に登場する変な日本人

投稿者:当サイト管理人 - 2000年 08月 29日 20時 36分 26秒
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 ひとつ、これだけは解決してもらいたいことがありますね。
 それは、日本人の描き方です。
 そう。日本人の描き方。
 日本映画というのは、これがまるでなっていません。
 昔、NHKで放映されたアメリカのTVドラマだったけど、太平洋戦争中、マンザナールに収容された日系人たちの物語(「愛と哀しみの旅路」ではない)を見て、新鮮な驚きを感じたことがあります。
 開眼したといっていいでしょう。

 カメラを、猫に向ければ猫として写り、犬に向ければ犬として写ります。
 当たり前ですよね。
 ところが、日本人がカメラを日本人に向けても、日本人にならないんです。
 なぜかわからないが、日本映画に出てくる日本人は、巷にある日本人とは別のものとして撮像される。
 それが、アメリカの映画人がアメリカの日系人を出演させてドラマを撮ったら、もっともありのままらしい日本人が写し出されることになった。
 まことに奇妙ですが、これは実感でした。
 以来、生理的リアリズムとは異なった「日本映画的な人間描写」(としか表現しようのない、現実から隔たった演出)への激しい拒絶感に取り憑かれてしまうこととなりました。

 どうして日本の映画やテレビでは、日本人をあのドラマのように自然体で描かないんだろう?
 どうして、やたらと気張って歩き回り、目をギョロつかせる日本人ばかりなんだろう?
 どうして、けたたましく嬌声を上げ、ふるえ声で台詞をしゃべる日本人ばかりなんだろう?
 そうではない、こっちこそ現実だと押しつけるように、すべての登場人物にそういう振り付けをほどこし、変な日本人として描いてしまうんだろう?
 どうして日本映画はそういう日本人の描き方しかできないんだろう?

 本当に、どうして?
 今に至るも、答えは出ていない気がします。
 日本の映像作家たちは、自分たちの社会から一部を隔離し、美しく着飾らせて描くことに情熱を傾けます。
 けれども、社会の様相をありのままにとらえながらドラマに取りこむという創造性のスリリングな部分での発揮では、みごとに世界から遅れを取っていると言わざるを得ないのです。


13.全部が全部そうじゃないですけどね

投稿者:Tanu2 - 2000年 08月 30日 00時 29分 20秒
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1番の問題は役者が主張しすぎるってことですね。
映画は監督が総責任を持って演出してるようですけど(ホントはそうじゃなきゃならないんだけど)、実は役者主体になってるんで、ああいう醜い芝居が展開されるんです。
そもそも映画にキャスティングされる役者ってのが、技術じゃなくて人気だったり普段のつながりだったりっていうクソみたいな関係でしょ。
そしてそういう役者に限って、普段から演技トレーニングなんてしてない。
私が私があ、って輩ばかりで(もともと役者ってのはそういう人種なんですが)。
なんでこんなことになったのかといえば、やはりテレビでしょう。
日本は映画を捨ててテレビ中心になったってことが問題だと思いますよ。作り手も視聴者も。
ビデオの画像で時代劇を観てなんとも思わないんですから。
ヒッチコックのセリフじゃないですけど、映画じゃやっぱり役者は家畜に徹しないと。
それと、作り手の問題でいえば喰うためだけの映画人や、クソ東映あたりの伝統を重んじる(実際は単なるナアナアのコト)バカ映画人たちの勢力が大きいってのもあるんでしょうね。
私は日本映画を愛しているんで、そういう輩のは(観るけども)無視してます。時間の無駄ですもん。
あ、私はATGの映画は支持しますよ。一時どん底だった日本映画の時代に唯一世界で評価された映画を生み出したのはATGでしたし。
「田園に死す」「肉弾」「心中天網島」とか傑作も多いじゃないですか。
日本のメジャーでは大映の映画だなあ、昔も今も。
あと一部の東宝と松竹とか。
とにかく東映はダメです。無くなってほしいです。実録ヤクザ路線から完全に腐ってますよね(って一部傑作もあるんですが)。日活と同じです。
あ、なんかとりとめなくってすいません。
今ちょっと壊れてます。


14.観客も映画づくりに参加しているのです

投稿者:当サイト管理人 - 2000年 08月 30日 13時 24分 35秒
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 Tanu2さん、三度にわたる長大なるご意見、お礼を申し上げます。
 まこと、来訪された方々の邦画への熱い想いこそ、この特集を支えるエネルギーです。

 監督は人を意のままに操りたがり、俳優は人前に自分を出したがり、製作者は取引先との商談を好む……仕事が人を造るものだとしたら、全般的にそういう傾向があることはたしかなようです。
 では映画は、監督のものか? 俳優のものか? スタジオのものか?
 いえ。観客のものだと当サイト管理人は思います。
 映画をつくるのが映画作家ですが、その作家とは監督だけでなく、製作者、脚本家、原作者、カメラマン、編集者、デザイナー、作曲家、演技者……映画のため創造性を出し合うあらゆる専門家のことであり、映画は間違いなく、彼らあっての総合芸術です。
 しかもそれは、地上でもっとも創造に資金が必要な芸術なのです。
 その作品を味わうため時間をつぶす無数の人々が払う入場料を見込んでつくられる芸術。
 小説や絵画、工芸と異なり、こんなにも大勢の人から支持を受けなければ存立できなくなる芸術品はほかにありません。
 映画を観にくる人々も創造に参加しているのです。
 日本の観客が日本の映画を見捨てることで引き起こされた危機的状況の中、だれが邦画の主人なのかをあらためて考えさせられます。


15.拝啓、ただいま夏休み中です。

投稿者:助け舟 - 2000年 08月 30日 19時 54分 44秒
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本日は、都内某所に有るインターネット喫茶で、此のメッセージ書いています。
今週いっぱい、夏期休暇を貰いまして、存分にリフレッシュしているところです。
難点はこのサイトにアクセス出来ないことですよね。(今まで勤め先のPCからアクセスしていたのです。)
で、月並みというか、場違いというのか、「暑中お見舞い」申し上げます(笑)。
Tanu2さん、はじめまして。私も私なりに日本映画は愛しています。
あなたほどの本格的な含蓄は有りませんが、宜しくお願いします。
ところで、管理人殿の云われていた日系人収容所のドラマ。私も見た記憶が有ります。表題はやはり失念したのですが。
或る日系人一家の一少女の眼を通して描かれる収容所生活の物語でしたよね、回想形式の。
印象的だったのは、収容所の食事のシークェンス。
日系人達は一列に並んで、白人の職員から配食を受けます。トレイの上に順番にご飯、メインディッシュ、サラダと云う具合によそってもらうのですが、ヒロインの少女は、ご飯の上にデザートのアプリコットをかけられてしまい、当惑すると云うシーンが有ります。後でお母さんが取り替えて上げるのですが。
これだけのさりげない描写にいたく感心したものです。
確か、あのドラマは、原作者を始め製作スタッフに多数日系人が参加しており、それで、あのリアリティが出せたのだと思います。
ちなみに、逆にディテールを意識し過ぎて失敗してる例もありますね。
大島渚監督の「戦場のメリークリスマス」みたいに。
変なところで、「遺族年金」の話なんか出してるでしょう?


16.4度登場ですいません

投稿者:Tanu2 - 2000年 08月 31日 00時 30分 30秒
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管理人さんのご意見もっともだと思います。
でも作り手と観客は半分半分だと思います。
私が今のハリウッド映画に辟易しているのは、観客に寄りすぎていると思うからです。結末をアンケートで決めるなんて作り手としての意志はないのか、と思うんです。
映画は観客と半々で完成するものである以上、観客もボーッと映画を浴びるだけというアメリカや日本の意識もどうにかしなきゃマズイんじゃないの?と思うんです。
あ、監督が作るといったのは最終的に誰かが決定しなければならないワケで、そのチョイスに監督の意志が色濃く反映する、といったような意味です。言葉足らずでした。ごめんなさい。
かの黒澤明でさえ、スタッフ・出演者の意見を聞き柔軟に取り入れていましたから。でもそれを選択決定しているのは監督であると、そういうことです。

余談ですけど、私は海外の俳優でも辟易することがあります。アルパチーノやロバートデニーロとかですが、大げさでわざとらしい芝居にイライラすることが多いです(もちろん名演もあることは認めた上で、の話ですけど)


17.管理者からです

投稿者:当サイト管理人 - 2000年 08月 31日 14時 30分 07秒
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 助け船さん、おひさしぶりです。
 暑中お見舞いありがとう。
 夏期休暇をお過ごしとのことですが、やはり新作やビデオを観まくっているのでしょうね。
 存分に骨休めしてください。

 あなたもあの日系人のドラマをご覧になっていたとは嬉しいかぎりです。
 白飯に缶桃を盛られる場面は、当サイト管理人にも印象に残っています。
 ああいう場合、中国人などはどう感じるんでしょうかね。
 それにつけても、大戦中のアメリカでは捕囚の食事にまでデザートが付いたのだから驚きです。


 Tanu2さん、毎度のカキコありがとう。

 観客の映画に対する決定権についてですが。
 映画会社が結末についてのリサーチをやろうとやるまいと、どのみち、結末は観客によって選ばれることになるのではと思います。
 かくあれかしの結末だと大勢が見に来るが、意に添わぬ結末ではお客が集まらない……適者生存の法則でしょうか(笑)。
 「フランダースの犬」などは、あらかじめ二つの結末が撮影され、配給する国別で選べるようになってましたよね(日本公開版はやはり、悲劇系)。
 名作「眼下の敵」は、アメリカの駆逐艦長とドイツの潜水艦長、主役が二人とも戦死して終わる結末だったのが、試写会で観客が同調しなかったため、急遽、両方とも生き残るように撮り直されたといわれます。
 「タイタニック」でも、安手のアクション映画みたいな場面があったけど、試写会で「あの場面はミス・マッチ」という声が多かったため、カットされたそうです。
 スタジオが観客の意向を取り入れ、かえってよくなったことになります。

 もちろん、リサーチがすべてではありません。
 リサーチの結果などは映画の出来を左右する要素として二次的なもので、ダメな映画は結局、どんな結末でもダメな映画のままだろうし、監督が真の名手ならどのような展開になろうと、それなりに魅せるものがつくれる。
 観るほうでも、ひとつの結末に拘泥せず、色々な成り行きを楽しむのはオツなことかもしれません。


18.日本映画に登場する変な日本人2

投稿者:当サイト管理人 - 2000年 09月 01日 05時 00分 41秒
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投稿アドレス:210.227.243.27


 「将軍」という日米合作のTVドラマで来日したアメリカの映画人が語ったとおり、日本の映画人には真実らしさを認識する能力が欠如しているのでしょうか?
 本当に「アメリカより五十年は遅れている」のでしょうか?(しかも、これは二十年前の言葉ですよ)    
 日本の俳優には、動物としての人間の心の動きをデリケートに(それも、芝居体ではなく自然体で)演技する才能がないのでしょうか?
 あっても、監督が「アホッ! 大げさにやらねえとわからねえんだよう」とか言って、採択しないからでしょうか。
 大げさにやらないとわからない?
 こまやかな被写体のありようを大きくすくい取るように捉えて観客にわからせるのが、映画作家の才能、撮影や編集の技量だと思うのですが。
 それができないなら、いったいなんのために監督やってるんだ、と言いたくなるところはあります。
 まこと、日本の映画だからといって、日本の世論をけっして反映してはいない。
 第二次大戦末期のイタリアで、すでに多数の国民から支持を失ったファシスト政権が自国を支配し占領する状態と変わらなかったように、現代の日本映画界では、そこにふさわしからざる連中が支配者ヅラして居座り、大多数の国民の希求におかまいなく、一部のファンや仲間内だけで自家燃焼するような映画ばかりつくり続けている……自分には映画界の現状を見るにつけ、そう感じられてならないんです。
 そう。
 今の日本人俳優の芝居は、「日本を占領した日本映画人」による様式的演出にだけ沿ったもので、けっして現実の日本人をあるがままにとらえたものではない。そこからくる違和感が外国人の目に「嘘吐き」と思われるゆえだし、まさに日本の観客をも日本映画から遠ざけているに違いない。
 そんな気がしてなりません。


19.実の無い興行成績

投稿者:ボールドウィン末男 - 2000年 09月 01日 19時 44分 46秒
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投稿アドレス:203.139.51.100
メールアドレス:
ValleyBook@hotmail.com


管理人さん、はじめまして。
YUKIさんの掲示板からとんできました。
とても興味がありまた深いテーマですね。
私は「ホワイトアウト」が大好きで楽しみにしたのですが、自分の思ったよりは迫力が今一つでした。でも今までの作品よりは完成度は高く、これからの邦画に新しい未来を感じました。

先日、電車に乗っているとその「ホワイトアウト」の話題をしている若い女性2人組みの会話が聞こえてきました。
「日本の映画ってお金まで払って見に行こうとは思わないよねーー」
私は非常にがっかりしちゃいました。内容うんぬんよりも以前に邦画というだけでもうダメなんですね。 ここまで邦画の地位は落ちたものなのかと。
多分、一時期のテレビ会社提供の駄作からでしょうか。CMをバンバン流してしっつこいと思うほど広告にお金を掛ける。そんな時代がありました。
これって配収は多くても、実際の中身は付き合いのある企業が買わされた感じで泣いているのはその企業の従業員だったりします。実際、こういった「ただ券」が多いため、金券ショップでは500円ぐらいで手に入ったりもするのです。
人気の高い「寅さん」や「ツリバカ日誌」でもそうなんですから。

去年の「踊る大走査線」は実際にも売れたのでしょうが、あれはテレビの影響もあるので、手放しで喜んでいいものなのか・・ その影で「GTO」や「ショムニ」「サラリーマン金太郎」といった人気ドラマの映画化が思うほど伸びなかったのも事実です。

それは日本だけのマーケットになるからしょうがないのです。アメリカ並みに世界でマーケットできる資金力、技術、俳優の数があれば日本人の監督でも充分に「タイタニック」並みの作品を作れる可能性があると思います。それが無理なのですから、せめて実情に沿った売り上げ成績を残して欲しいです。見せ掛けだけでなく。

他にもいろいろありますが、今日はこの辺で。


20.やはり・・・

投稿者:ゆきこ - 2000年 09月 01日 22時 08分 13秒
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投稿アドレス:210.236.4.134
ホームページ:
http://ww9.tiki.ne.jp/~t_yuki/


みなさん、はじめまして。
なんかカキコしようと思ったのですが、
みなさんの気迫に圧倒されて何を書いてよいのやら・・・

単刀直入に言ってしまうと私も邦画はあまり見ないんです。
邦画と聞くとどうしても安っぽいイメージがあるのも
大きな要因なんですが、
私の場合、邦画を見なくなったのは
「パラサイト・イブ」のせいだと言っても過言ではないでしょう(笑)。
この映画を見てかなり失望したんですよ。


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